| 今までわたしたちがプレイバックシアターの中で経験した、介護にまつわるストーリーの一部をご紹介します。 |
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| ●今でも心をかき乱す。 |
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今でも心をかき乱す。
ご主人は癌です。医者の口から出た言葉をきちんと受け取るには時間がかかった。身近な言葉ではなかった。私の想像をはるかに超えていた。夫には言わないでおこう。決して気づかれないようにしよう。これが私のとっさの判断だった。私は仕事をもっていた。だから、これまで通り働きつづけることにした。状況を隠すために私のできる唯一の行為。毎日、いつもと変わらない顔をして、いつもと変わらない声で話し、いつもと変わらない慌しさの中で、仕事に出かけていく。1年半、同じように。
ある日のこと、職場に電話がかかってきた。夫が倒れたという。私は、急いで夫のもとへ駆けつけたが、
そのまま死の床になる。覚悟はしていたけど、来るべき日は容赦なくやって来た。
私はこの1年半いったい何をしてきたんだろうか。医者に告げられた時すぐに夫に告知していたら、きっといつも堂々と近くにいてあげられたんだろうな。残りの人生を一緒に歩いていけたんだろうな。2人の充実した時間がたくさん持てたんだろうな。いい思い出だってたくさんつくれたんだろうな。
今でも心にひっかかる。今でも心をかき乱す。今でも胸が痛くなる。 |
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| ●ああ、また繰り返してしまう。 |
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いつも、どんな時も優しくしてあげたい。私にできることなら何でもやってあげよう。気持ちは100%の状態だ。なのに、どうして現実はこうも苦しいのか。
私がまだ若い頃、母を子宮癌で亡くした。兄は仕事で忙しかったし、父も仕事があったので、介護は娘の私があたることになった。最愛の母のために、私は覚悟を決めて望んだ。残された日々があと少しの母のために、すべてを捧げようと決めた。でも、やさしいはずの私の気持ちは、介護という現実によってゆがめられていく。苦しみばかりが悪魔のように心にとりつき、何度逃げ出したいと思ったことか。誰か交代して!どうして私だけが・・・。最初の気持ちと現実の気持ちの落差に私は自分を責めた。
そして今、父が癌におかされている。あと1年と言われている最後の時間を、私は今度こそは、と思い接している。母の時にできなかったやさしさを父にはすべて注ぎたい。でも、・・・。忙しい兄はたまにしか顔を見せない。電話だってもっとできるはずなのに。ああ、これでは母の時と同じだ。死を目の前にした父と向かい合う毎日。私は母の時と同じようにまた、苦痛と一緒に過ごしている。
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| ●早く告げなければ・・・。 |
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体調のすぐれない日が続いていた。一向に気分のすぐれない毎日に、言いようのない不安が容赦なく襲いかかる。検査にいってみよう。意を決し、病院へと足を運んだ私は、そこで衝撃的な事実を知ることになった。
腫瘍ができているのだ。この体の中に、既に手術できない状態にまで進行している腫瘍がある。しかもあと半年の命だという宣告まで受けてしまった。衝撃が体を突き抜ける。同時に親の顔が目に浮かぶ。言わなければ。友人や職場の仲間、そしてなにより自分の親に打ち明けなければ。でも、どんなふうに?
親と離れて暮らしている私は、せめてできるだけ実家に帰ろうと思った。でも、なかなか思うようには帰れない。たとえ帰っても落ち着いて話す時間がとれない。いや、あえて時間をとろうとしないのかもしれない。親がどんなに心配するだろうか、どんなに悲しみに打ちのめされるか、その現実を拒んでいる。
最近は仕事もたびたび休むようになってきたので、仕方なく職場や友人などの身近な人には打ち明けている。でも、どうしても親にだけは打ち明けられない。今度こそはと思う。今度帰った時は絶対に言おうと思う。言わなければならないことは恐ろしいほどわかっているのだから。でも・・・。
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| ●悲しみをきれいに掃除する。 |
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母が逝ってしまった。私になんのことわりもなく、私を置き去りにして、天国へと旅立ってしまった。年老いた母の人生がもうすぐ終わりに近づいていることは、介護をしている時からいつも自分に言い聞かせ、充分な覚悟はしてきたつもりだ。しかし・・・。
介護をテーマにしたイベントの席で私はテラーとなり、母との一番密接だったが、一番苦しかった介護の思い出を話した。充分な介護をしなかったのではないかという自責の念が頭をもたげる。あの時、もっとこうしていれば・・・。どうしてこう、後悔のシーンばかりが蘇ってくるのだろうか。深い深い水たまりの中で、今も私は動けないでいた。
アクターを通して自分を見る。母を見る。すると涙の壷があふれてしまうほどたくさんの涙が出てきた。私がこれまで流した涙などとるにたりなかったのかもしれない。止めようという気持ちなどこれっぽっちも思いつかないでいた。プレイバックシアターは天国で新しい暮らしを始めた母をも見せてくれた。そこには子供の頃、無条件で愛してくれたあの懐かしい笑顔があった。そして深い感謝の声が私に届く。涙は止まらなかったけど、それは後悔の涙ではなかった。私はついに悲しみを手放すことになった。
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