| ・ |
「気持ちはたくさんありつつも」
訪問先でヘルパーとして援助の限界を感じることがある。認知症の妻が繰り返す行動を受け入れられず、いらだち、怒り、パニックになっている夫。自分の行動を記憶できず、叱られてもただ笑顔でいる妻。2人の間を取り持つことや寄り付かない子どもたちを巻き込むことなど、私がお役に立てることがあるはずだ。しかし、それは、ヘルパーとして踏み込んではいけない世界である。ヘルパーの立場と役割を自らに言い聞かせ、踏みとどまらざるをえない。
|
| ・ |
「介護拒否、その先に」
援助をしている人で嫌いな男性がいた。女性に対して特別な興味を示し、心の中まで見透かしているようなギョロッとした目つきが嫌だった。そして、最悪なのは私に対する介護拒否だった。それは私の女性性を否定する行為でもり、忙しい仲間の手を煩わせることでもあり、辛かった。その彼が退去し、また戻ってきた。なぜか、私への否定的な態度が消えていた。この違いの背景には、介護者として私の変化があるのかもしれない。最近の私は好き嫌いなく、どんな方にも誠心誠意、援助をさせてもらうことに喜びを感じているのだ。そしてそれは、彼がもたらしてくれた変化かもしれないと今は思う。
|
| ・ |
「心から、ありがとう」
車椅子生活で自由に動けなかった入居者との忘れられない思い出がある。「どうしても、家に帰りたい」と言い張り、車椅子のまま、車で生家に連れていった。家の前に着いたとたん、バリアフリーでない家の中を自力でどんどん進み、仏壇の前に移動した。仏壇に手を合わせたあと、満足した風情で、私に「ありがとう」と言った。満面の笑みには、思いを遂げた喜びと私への感謝がみなぎっていた。今は天国にいるあの人の心にも、あの時の満足と感謝が残っていることだろう。 |
| ・ |
「援助者の鑑」
90歳になる女性の介護をしていた。彼女の息子は70歳くらいだったが、頻繁に施設を訪れ、こまめに世話をしていた。息子が訪れると、彼女の表情はパッと明るくなる。女手ひとつで子どもを育てたという母親を彼は尊敬し、心を尽くして介護していた。食欲も低下し、飲みくだすことも苦労するようになり、食事を取ってもらうのに私は苦労した。息子は母の好物であるヨーグルトを持参しては食べさせた。そこに、私は限りある命に寄り添う援助者としての、究極の姿、本来の看取りの介護を見た。あの2人から学んだことを胸にこれからも精一杯の介護をしたいと思う。 |