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東洋大学社会学部講義での公演

感想・1

 プレイバックシアターが福祉施設を利用している人たちにとって心の支えになれば良いと思います。楽しい事を思い出して笑い、悲しいことを思い出して泣けばいいんです。出演者が見ている人達に強い共感を示して演出してほしいです。


 プレイバックシアターの中に「あなたの仕事の原点はなんですか?また、目標となった仕事につきたくなった原点はなんですか?」と、いう質問があった。私は、講義終了から寝る直前まで、自分の原点とはなんだったのだろうと自分に疑問をなげかけていた。自分の過去を振り返りつつ原点を探した。そして、自分の原点を2つ思い出すことができた。私は、原点を心の奥のほうにしまっていた。なぜなら、2つともどうしようもなく複雑なできごとだったからだ。
   −中略−
 3日目、私が社会福祉士になりたいと考えるようになった原点ともいえる出来事が起きた。それは「虐待」である。私の目の前ではなかったが、隣の部屋で「ギャー」という声がした。何があったのか驚いて職員の人に聞くと、「こうするしかいうことを聞かないのよね」と普通の出来事のように言っていた。周りの職員二人も同じような顔だった。
   −中略−
 なんとかこの行為を止めることができなかったか、「誰かに伝えなければ。」と自分に問いかけていたが、あまりにもショックな出来事だったため、現在まで心にしまっていた。「福祉に携わることができればいつかこの出来事を解決できるはずだ。」と思い、社会福祉士になることを目標にした。プレイバックシアターの緊張感と本気でやっていた演技を感じてからこの出来事を伝えられる勇気を与えてもらえた。高校の時に一緒に引率してくれた先生に相談したいと思う。また、虐待を防ぐための方法を学び考えていきたい。


 私は、プレイバッカーズの皆さんの講演を見て、他の学生が持ったような感想(心打たれる、胸が痛む、その時その時を大事に生きたい)を持つことができませんでした。確かに、彼らが目の前で行う即興の劇には、とても驚き、感心させられました。しかし、それ以上の、他の学生が持ったような感想を、私は持つことができなかったのです。正直、自分の反応に驚きました。その時、私は自分のことを「感情のない冷酷な人間なのか?」と思いました。しかし、私は「どんなことにも心を動かされることはない」といった性格の人間では決してないのです。本や映画、劇、いろいろなもので私は感動したり、共感したりすることができます。でも今回の講演では、演技に対する驚き以外、何も感じることができなかったのです。
   −中略−
 今回のプレイバッカーズの皆さんの即興で行う劇は、確かに素晴らしいものでしたが、私にとってリアルではなかったのです。目の前で役者さんが演じている劇が、あまりにも「演劇」になっていたため、そこに、私は現実性を見出すことができず、また、感情移入することもできず、ただ単にお芝居を楽しむという形になってしまったのです。また、効果音にも問題点があったのではないかと思います。例えば看護婦さんの話で、亡くなったおばあさんを霊安室に運ぶ途中、星を眺めるシーンがありましたが、実際の現場では音など存在しない、静寂さがあたりを包んでいたはずです。しかし劇では効果音によっていかにも神秘的な「音」を発生させてしまいました。実社会では効果音が流れることはなく、また、無音の中にこそ、各々が創り出す心の音が存在するのだと、私は思います。よってこういう「演劇」や「音」が、私にとってはリアルさを欠いてしまい、私は感情移入もできず、また、何も感じることができなかったのではないかと思います。
  よって、私が結論として申したいのは、プレイバッカーズの皆さんが行っている講演は、@多くの人々にとっては、「何か」を得るのに大きな役割を果たすものだと思われる。A私にとっては性格的に合わず、ただ即興の劇に驚くばかりであった。Bしかし、私が、自分の経験を前に出て話す談話者の立場をやっていたならば、私は何かを感じたりすることができたのかもしれない。以上三つの点がプレイバッカーズの皆さんの講演を見て感じたことです。今後、もしまたプレイバッカーズの皆さんの講演を見る機会があったならば、是非前に出て話す立場になってみたいです。そうすれば、何かを感じることができるかもしれません。


 「プレイバッカーズ」は、あくまでも問題解決や問題提起はしない、と言う。ただ「テラー」の体験にひたすら添う事を目指す。「ある想い、ある感情をそこにいる皆で一緒に強く共感することができたとき、ある意味、人は癒される」と言う。現代の、「怖かった」「悲しかった」などと言うことができる場面が余りにも少ないこの社会において、「気持ちを代弁する機会を作ることが大切なんじゃないか」と言う。
 このポリシーを聞いて、この演劇には「empowerment」の要素が含まれているのではないか、と感じた。問題解決にはならなくても、ある気持ちを代弁してもらい何らかの形で癒されたとき、人は生きる力を獲得できるのではないか。人間的魅力をもってある人に「生きる力」または「人間としての尊厳」を回復する、これこそ正に「empowerment」である。しかも「プレイバックシアター」の偉大なところは、その感情の当事者だけではなく、観衆までをも「empowerment」している、という点である。観衆の中には同じような体験をし、同じような感情を持った人だっているだろう。もっと単純に見ていて同じ気持ちを共感するだけで癒される場合もあるだろう。これは「プレイバックシアター」に限ったことではなく、「プレイバックシアター」がもつ「芸術性」の成せる技だろう。良い音楽や美術、演劇などは度々大勢の人を感動させ生きる希望を与えてくれる。「プレイバックシアター」にもそういった芸術の一面がある。ただ、その「芸術性」を「社会性」と融合させているところは見事だ。「芸術性」に「社会性」を加えることによって、より多くの人々を癒し続けることができるだろう。


 その体験を再現できた時、どれだけ癒されたかというのは本人にしかわからず、まわりの人が判断しようとするのには限度があると思う。プレイバックした事によって、自分の心が和みホッとして落ちついた気分になれば癒されただろうし、逆に怖さやショックで胸が高ぶって苦しさを感じ、癒されたという感覚にならない人もいて当たり前であると思う。
 だから、癒すというのはもちろん大切であるが、癒されなかったとしても、その人の心に少しでも変化があったり、いろいろと考えさせられたりするところに、プレイバックシアターの意義があるのではないかと私自身思った。


 人は記憶する。視覚、聴覚、そして心。何を記憶するかは人によって様々である。例えば同じ映画を2人でみたとしても別々のシーンで感動することもある。また、ある人にとっては何でもないことが当人にとっては、大問題であったりする。そこでプレイバッカーは表現する。彼らは決して否定したりはしない。相手の話をよく聴き、どこまでも受け入れようとする。それこそがいやしであり、大切なことだと考える。私は今ある人間関係を見つめ直さないといけないのであろう。


問合せ先
プレイバッカーズ代表 宗像佳代
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