1994年9月、プレイバッカーズが初めて主催した紹介イベントに参加。
そのイベントで、一人目のテラーとして「初めて自転車に乗れた」時のストーリーを語って感動した体験が原点であることは、今も語り草となっている。
以来、プレイバッカーズの団員として活動を続け、劇団員の中でも最古参の人気アクター。
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| 卒業 | 中高一貫の男子校、その6年間のほとんどを卓球に情熱
を傾け頑張った。 (自主公演Vol.22のメッセージより) |
|---|---|
| 夏の思い出 | 小学校の頃、登校日前日になっても宿題を終えていなかった。夜中になって泣きじゃくる私に、両親はその理由を聞いてくれた。 そのときのバツの悪さは、今でも忘れられない。 (自主公演Vol.21のメッセージより) |
| Anniversary | 昨年、勤続25年を迎えた。涙と笑いの日々だった。大切な人たちを亡くしたり、仕事以外の場でも、一緒に過ごすくらい最高の仲間たちに囲まれたりした。 様々な人との出会いと別れの連続だった。 |
| 初恋 | 私は、幼稚園の先生が大好きだった。誰にも優しく、そしてきれいな先生だった。でも、ちょっとした行き違いで、送迎バスの中でみんなの前で先生に叱られて大泣きをした。 とても悔しかったことを今でも覚えている。 |
| 家族 | 1年に1度、正月くらいしか実家に戻らないのだが、帰れば決まって老いた親と口喧嘩になる。親不孝な息子である。でも、そんな私でも、両親は帰郷するのを待ち望み、そして、この会場での公演を楽しみにしていてくれる。 |
| ダイバーシティ | 私は、「煙草」が大嫌いである。知合いの喫煙者に対し、たとえその場で吸っていなくても、匂いが気になると露骨に拒否反応を示してしまう。 しかし、一方で他人の嗜好に対して、このような態度を取るのはどんなものかとも考えてしまう。 |
| おもいやり | 小学生のとき、お前はバカだ、汚い、と同級生が罵られていた。私は心の中では「そんなことは良くない」と感じていた。しかし、いじめをしていたのが親友だったので、「彼に嫌われたくない」と思い、結局、やめろと言えなかった。 |
| いのち | 昨年の夏、少し体調を崩して悩んでいた頃、幼なじみのヒロシが夢の中に出てきた。20年以上前に、海の事故で亡くなった彼が「お前は、まだまだ、これからだ」と励ましてくれた。そして、私は今、ここに生きている。 |
| 出会いと別れ | 5歳の頃、初めて子犬を飼った。皆で名前を「マリ」と名づけ可愛がった。ある朝起きたら、近所の犬に噛み殺されていた。とても悲しかった。玄関で「もう生き物は飼わない」と言って涙を流していた母の姿を、今でも忘れられない。 |
| つながり | バレンタインデーに「あなたとは、彼、彼女という恋愛関係ではなく、社会運動の同志だと思っていた」と言われた。恋愛の対象としてつき合っているつもりだったが。 彼女のことを想って一生懸命だった私は、何だったのだろう。 |
| 再出発 | 学生時代、「反核・平和の集い」に参加し、仲間と平和を訴えていた。しかし、しだいに虚しさを感じ、足が遠のいていった。 |
| 揺さぶられるとき | ある日、父は、「自分は、体が小さかったから戦場に行くことから、逃れられた。」と語った。 空襲のことは、聞いていたが、初めて聞く話だった。きっと、父の胸中には、いろいろとあったことだろう。幼い頃、私は背の低い父と一緒に歩くのが苦手だった。 だが、父のお陰で、今、私はここに存在する。 |
| 10年前の私 | 昼は、現在の職場で働き、夜は、プレイバックシアター(PT)と出会うきっかけとなった自己啓発のワークに参加。 |
| 4月といえば・・・ | 小学校の入学式。式終了後に校長先生から「今日のお祝い」ということで、プリンが配られました。プリンなんて当時食べたことがなかったので、恐る恐る口にほおばったのですが、「何か変な感じ」と思って途中で食べるのをやめました。 回りのみんなは美味しそうに食べていたのに…。 (自主公演Vol.9のメッセージより) |
| 私のたからもの | 兄からお下がりの自転車をもらった時の話です。私は自転車に乗れるようになったのが人よりも遅く、練習をしてもなかなか補助輪をはずすことができませんでした。 でも、そんな時、兄は練習を手伝ってくれました。時間はかかりましたが、一人前に乗れるようになったのは兄のおかげだと思っています。 |
| 私にとって 秋とは? |
スポーツで汗! |





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