2002年1月1日【月間総務】




自己実現の場を持とう
株式会社アズ 宗像佳代

世界にたった一つの研修
 
性格や顔形が一人ひとり違うように、組織もそれぞれが違う個性を持っている。だとしたら汎用性の高い画一的な研修でなく、各組織に合った研修を真剣に創りたい。各組織の実情に合った、そこにいる人の肌感覚に合った研修を創りたい。受講生が何に興味を持ち、どんなことを知りたいと思い、なにができるようになりたいかを彼らとの交流をとおして把握し、それに合った研修をその場で創りたい。そんな思いを込めた研修を提供するのが株式会社アズである。
テーマやポイントは事前に決まっていても、進め方や実習の多くは、その場の雰囲気と受講生の状態に沿って選択される。同じ研修は二度とない。講師に求められるのは、研修内容の知識、数多くの研修手法、そして状況対応能力と創造能力、そして即興能力である。

決定的な出会い
 
私が「世界にたった一つの研修」を目指すようになった背景には、1992年の秋、即興劇であるプレイバックシアターとの出会いがある。プレイバックシアターは、個人が体験した出来事を語り、それがすぐその場で一遍のドラマとして演じられる即興劇であり、演劇、集団心理療法、教育研修など、さまざまな領域で活用されている。
研修講師として、ロールプレイをもっと極めたいと思い、プレイバックシアターの創設者であるジョナサン・フォックス氏の研修に参加した。その3日間で思いもよらない感動を体験し、1993年の7月、ニューヨークにあるリーダー養成スクールの集中授業に参加した。それ以降、年に一度、3から4週間の日程で通い続け、足かけ3年で卒業した。当時、中学生であった娘のお弁当作りをどうするかという家庭の事情、1ヶ月も穴を開けてしまうことになる取引先との調整など、問題は山積みだったが、何かに魅せられてアメリカに通い続けた。
そこで学んだのは、必ずしもプレイバックシアターの手法だけではなく、講師としてのあり方や価値観であった。ジョナサンは、プレイバックシアターの創設者として素晴らしいだけでなく教育者としても抜きん出ていた。目から鱗の体験の連続だった。「講師が事前に教える内容を決めるのではなく、受講生が興味を持っているものを土台にして教える」「相手について気づいたことをすべて伝えるのは疑問である。教えすぎて相手がつぶれることもある。相手の度量を判断して、いまのその人にぴったりのフィードバックをしてこそ相手は変わる」。理論としてはわかるが至難の業である。状況対応能力、対人関係能力、創造性と即興性。そんなむずかしいトレーナースキルを、彼は実践して見せてくれた。一人ひとりの生徒の個性を把握し、その場にふさわしい的確なフィードバックを与えていった。生徒を一人の人間として尊重し、講師自らの限界までも語る人に私は初めて出会った。それまで抱いていた講師像が根こそぎ揺らいだ。教育者として何が大事かを思い知らされ、以来、私の目指す研修は変わった。

おもしろいから、楽しいから
 
現在私にとって生活のための仕事が株式会社アズであるとしたら、社会貢献としての仕事がプレイバッカーズの活動である。
初めは漠然とかかわっていたプレイバックシアターが、年月を経て具体的な自己表現の場となってきた。
「なんのためにやっているのですか?」と聞かれることがある。確かに、目的、効用、必要性、理由などはある。ただ、それを説明しても、事実を後追いしているにすぎない。プレイバックをやっていると、われを忘れて打ち込んでしまい、気がつくと自分の内にある思いも寄らぬ能力が引き出されている。すべてを圧倒するような感動に包まれる。ただやりたいから、おもしろいから、楽しいから。それは純粋な喜びでしかない。

新しい明日のために
 
企業社会では、生産性、効率性が求められ、能力主義のもと、私たちは厳しく評価される。企業を離れ一般社会に戻ったとしても、子供から老人に至るまで、人間性回復を思わざるを得ない事件やできごとが増えている。人間的な喜怒哀楽の深さ、必ずしも思うようにならないことに満ちた人生をどう生きたらいいのか、という問いの答えとして、私はプレイバックシアターに出会った。
プレイバックシアターでは、誰かが語った内容を批判することや、善悪の判断を下すようなことはない。たとえわがままな感情や世間ではよしとされない主張でさえ、そのまま舞台に再現される。その結果、生身の人間の真実に人は涙する。ある人の個人的な体験が自然と参加者の共感を呼び、会場は優しい一体感に包まれる。「喜びも苦しみも、私だけではないのだ」。そう思えるプレイバックシアターの場には、普通の社会では得られない人間への優しさと人生への肯定感がある。
40歳代半ばで、自分が本当にやりたいことに出会い、幸運にもその望みと仕事が結びつき、ともに活動する仲間とは家族に近い感覚で接している。切り開く道は狭く、ゴールは果てしなく遠いけれど、好きなこと、やっていて楽しいことだから続けていける。