1998年9月20日【企業と人材】


1998年9月20日
【企業と人材】
産労総合研究所 発行


次世代型多機能研修の登場!!
理論よりもアクション「プレイバックシアター 」

ワンネス教育研究所代表 林紀光
(株)アズ代表取締役 劇団プレイバッカーズ主催 宗像佳代


プレイバックシアターはアートであり、ときにはセラピーにもあると創始者ジョナサン・フォックス氏は語っている。
既存の様々な手法にとらわれない新しい発想のプレイバックシアターはリーダーシップ力開発、状況対応力などの個人のニーズをかなえることがでいる。また組織活性化、ビジョン浸透など企業ニーズにも期待以上の成果を得られるものである。

●参画意識の高揚のために

「分かったことを、どう組織で実践していったらよいのか」
この難問についてプレイバックシアターはひとつの解決策を与えてくれた。ある病院での「顧客満足」に関する事例である。
この事例は、ある病院に勤務する医師、看護婦、そして役員の総勢100名が集まってプレイバックシアターを実施したときのものである。
相手に共感し、喜んでもらえることとはいったいどういうことだろうかと模索していた若い看護婦が、多くのハードルを経て、マニュアルを超えていった話である。
ストーリーは出産寸前の女性が、危険な状態に陥ったところから始まった。すぐに集中治療室へと運ばれた。ところがこの場所へは家族は入ってはいけないというルールがある。このルールに従えば、自分の妻が生死をさまよっている時に、夫は妻のそばで励ますことも、見守ることもできない。しかも、自分の子どもが無事に生まれるかどうかというすべてを投げ打ってでも立ち会いたいシーンに立ち会うことさえできない。このルールがあるという、ただそれだけの理由で。
それは、人間としてあってはならないことだ、と看護婦は考えた。そして答えは簡単に見つかった。そうだ、ルールを変えてしまえばいいんだ。もうすぐ父親になるこの大きな男をなんとしてでもICUに入れてあげなければならない。妻に勇気を与えられるのは、この男以外にいないのだから。
それから看護婦はすぐ、病院のスタッフを説得して回った。もちろん、難色を示すスタッフはいた。しかし、若い看護婦の説得はほとんどのスタッフに共感を与えた。
こうしてついにルールは変わったである。
しばらくして、生死の危機にあった女性も無事出産。母子共に健康状態という最高の結果を得た。そして何よりも素晴らしかったのは、母親と父親がそろって自らその手で、新生児を抱くことができたことだった。
ここで得られた教訓は、競合にうち勝っていくサービスとは、顧客が何を望んでいるか、本当に欲しいものは何なのかを顧客の立場に立って考え、考えたことを実行していくことに他ならない。
サービスマネジメントの中で、「真実の瞬間」と言ったのはスカンジナビア航空のヤン・カールソンである。この哲学を組織内にどのように浸透させていったらよいか処方箋が見つからなかった。
しかし、この若い看護婦の行動そのものが、まさに「真実の瞬間」なのである。
この場合のプレイバック(再現ドラマ)を職場のメンバーが目の当たりにすることによって「真実の瞬間」の意味を共感し、深く悟ることができたのである。
組織活性化や組織開発のために種々のシステムを導入してもうまくいかないことの困難さは、すでにおわかりであろう。
理念、ビジョンを100万回唱え、コンクリートに彫り込んだり、立派な額縁に入れたとしても、それらの実現のために、といった社員の参画意識はなかなか起きてはこない。
そうするためには、プレイバックシアターを使って、まず見せる。そしてやっていくこよへの浸透策として最適かつ最短の方法とすればよい。
これからも、生き抜いていかざるを得ない企業にとっては、プレイバックシアターの導入は競争上大きなメリットをもたらすであろう。

●プレイバックシアターとは何か
 
プレイバックシアターは、1975年、ジョナサン・フォックスのあるひらめきから生まれた即興劇である。創造性・自発性・リーダーシップ能力、状況対応能力の開発などに効果がある。内容は後に詳述するが、プレイバックシアターを一言で言うと、観客(参加者)の個人的体験を数人のアクター(役者)が「事前打ち合わせ」なく、即興で演じて、再現していくものである。
現在、アメリカはもちろんのこと、世界のおよそ30カ国でプレイバックシアターが行われている。舞台、学校、企業、病院など自分の体験を語ってくれる人がいる場所ならどこでも活動は行われている。
プレイバックシアターが日本で初めて紹介されたのは1984年秋である。最初は少数のファンの人たちのものであっtら、ここ数年来、東京、横浜、札幌などで発展している。
主な活動の場としては、各プレイバックグループ主催のワークショップ、学校、地域コミュニティー、行政主催のイベント、福祉施設それに企業などである。日本ではようやく根をおろしはじめたばかりであるが、現在の広がり方を見ていると、これからの急激な発展が予測される。
プレイバックシアターは 、海外においては多くの場面で有効性が実証されている。
ジョナサン・フォックスはドイツのダイムラー・ベンツ社で行った40歳以下のマネジャーを対象とした3日間のトレーニングでの体験を次のように語っている。
「研修は、トレーナーとプレイバックシアターのカンパニー(劇団)によって進められた。セッションごとの振り返りやディスカッションもプレイバックの手法を通して行った結果、参加者の認知や学習のレベルがより深まった。また言語でディスカッションするのではなく、ドラマやプレイバックの手法を通して語り合うことによって、それまでは見えなかった複雑な部分が鮮明に浮かび上がってきて、問題の本質が明快になり、スピーディーな問題解決が可能になった。
これはプレイバックのひとつの効果であるが、他にもたくさんお思いがけない効果が得られることが多いのだ。例えば参加者がプレイバックシアターの中で、試しにアクターの役割を演じてみるとよい。驚くほどの創造性が自分の中にあることが発見できたり自己表現力の豊かさにもビックリするのだ。
また、リーダーシップ理論を必至に学んで、実践していくのだが、うまくいった試しがないといったあるマネジャー。彼は自分のリーダーシップ行動のある特定の場面を再現ドラマとして目の当たりに見ることによって、自分がリーダーシップについて、まったく何も知らないことに気づく。彼がもし、プレイバックのアクターの訓令を継続的に受けていたとしたら、事態は変わっていただろう。意志決定はどのようにしたら効果的なのか、あるいは自分の部下にどのように伝えたら、相手に明確に伝わるのかについて、おそらく訓練の中で自然と身についてしまっていた自分に気づいたはずである。」
このように、目から鱗が亜散る思いがするといったことが多いのである。

プレイバックシアターは
・演劇ではないが、ドラマチックである
・心理療法ではないが、治療的である
・ゲームではないが、とてもユーモアにあふれている
・洞察力を高め、健全な人間関係を築くことができるだけでなく、創造性を開発する。


●プレイバックシアターの目的
 
プレイバックシアターの哲学基本には、批判することや良い悪いの評価が存在しない。その場で語られた内容をあるがまま受容しプレイバック(再現)する助言も忠告もなしない。それゆえ、批判なしに他人の話に耳を傾けることが可能になる。飾ることなくありのままの自分や他人を、素直に自己の中に取り込んでいける。「批判」、言い換えるなら「失敗」という考え方が存在しないから、自分をそのまま出していきやすい。それは、人を自由にし、自発性を促す。自分自身を表現することが臆病ではなくなるため、日頃心に鎧をつけていた人も、この場所では心を大きく開くことができるのである。まるで暖かい母親の、無条件の愛情に包まれた幼児が、「恐れ」を持たず、自由かつ創造的であるように。 このような環境の中で行われるプレイバックシアターは、下図のような目的とねらいを達成していく。個人として身につく4つの能力とそれをベースにして、さらに仕事人として、企業人として身につく4つの能力を習得できる。しかも実際の行動力として。そして全人格的にレベルアップをはかっていく。 事例紹介 先にも述べた通り、日本においてプレイバックシアターは、まだあまり普及していない。アメリカで生まれたプレイバックシアターそのものの、日本での歴史が浅いという理由がひとつある。そしてもうひとつには、その性質が目には見えない精神的な部分への介入であるため、理解には体験を要するという難易な側面を持っていることである。とはいっても、数々の場所で実践され、大きな効果を生んできている。その実例をひとつ紹介したい。




●海外での事例<スイスにて>

スイスのあるプレイバックカンパニーが、 ドイツの大手企業に勤務する45~60歳のマネージャー140名を対象に、プレイバックシアターをスイスにて2日間行われた。この時のテーマは、リーダーシップとチームワークであった。 プレイバックシアターは、テラーのストーリィーをアクターが即興で演じていく。つまり、テラーの生き様や考え方を劇という形にして、実際に目を通して観ることができる。これにより、今まで会社経営というひとつのビジョンを追求していくべきはずなのに、それぞれがそれぞれの立場の利害を主張していたために、ややもすると対立関係に陥っていた社員同士が、とても近い人に感じられるようになっていった。まるで家族のように。 その理由として、プレイバックシアターが自分自身の問題を扱っているということは考えられる。さらに心の中に潜む「おそれ」や「喜び」をオープンに表現でき、それらをケアしていくことも挙げられる。今まで考えたこともなかった隣人のストレートな思いを同じポストに就く自分の思いと重ねることで、共感したり、思いやったりできたのである。これにより、各人に対する認識が、これまでのものと大きく変わった。それは、チームワークが新しい認識のもとに再編されたことになる。でも変わったのはチームワークだけではない。その中で発揮されるリーダーシップのあり方も再構築されたことになる。 この研修を通じて、大手企業の社長はこんなコメントを残している。 「どういうからくりがあってアクターたちは即興でできるのだろうか。きっと事前の打ち合わせを入念に行っているにちがいない。でも、もし本当に即興で再現できるグループになっているのだとしたら、これこそまさにわが社の目指すものである」

●プレイバックシアターを実際に企業で実施するために。

研修プログラムの中に組み入れて使う主な目的は次の通りである。
 ・リーダーシップ・スキル開発 
 ・チームワークの向上
 ・コミュニケーション・スキルの向上
 ・プレゼンテーション・スキルの向上
 ・問題解決能力の向上
 ・状況対応能力の向上
 ・創造性の開発

以上のような研修目的を実りあるものにするあtめには、繰り返して行うプログラムが重要である。短時間でもいいから何回も可能な限り行いたいものである。
幸いなことに、プレイバックシアターは、上記の目的を達成する研修でありながら、社員のレクリエーションとしてとらえることも可能。言い換えればそれほど楽しいひとときを過ごせる特徴を持ってるということである。

●プレイバックシアターの具体的な内容と特徴


プレイバックシアターを行うためには、次のような構成が必要である。

●コンダクター
 全体の司会、進行役。ストーリィーテラー(語り部)から体験を聞き出し、その内容をアクターにバトンタッチし、演じてもらう。

●ストーリィーテラー
 自発的な話題提供者。語り部として、自分の持っている話題を提供、登場する重要な人物や物を演じるアクターを指名する。ストーリィーテラーは何を話しても良く、話題は過去、現在、未来のいずれでも良い。制約は一切存在しない。

●アクター
 ストーリィーテラーの話を受けて、ストーリィーテラーに指名された役割を自発的に演じる。演技には椅子、布などの小道具を使用する。

●ミュージシャン
 アクターの打ち合わせ準備時間から始め、演ずる話題にふさわしい音楽やリズムをさまざまな楽器を使って演奏する。これによって演技を盛り上げていく。またエンディングの時も同様に行う。

●観客
 上記以外の参加者。演じられる劇を見る人たち。

 なお、プレイバックシアターの流れについて、下記の図(2)を参照していただきたい。
(注)企業研修として実施する場合には、一般的なコンダクター、アクター、ミュージシャンを派遣し、その後受講者(観客)の参加といった形態をとることが多い。

●プレイバックシアターの流れ(図2)


企業研修として実施した場合のメリット
 

単なる知識にとどめるのではなく、実践できるように訓練する方法がプレイバックシアターである。しかも、無条件に楽しみながら。だからこそ、継続してやりたいと思えるようになる。たとえば、子どもの頃経験したクロールの練習がそうだった。うまくなりたいという一心のもと、毎日のように練習した。自発的に、休むことなく。すると確実に上達していった。それが楽しかった。また、ゴルフの打ちっ放しの練習も同じであろう。上達の仕方は個人差があるにせよ、目標のために努力する。上達という結果が、練習をさらに楽しくさせる。いくら本やビデオで知識や理論を頭にたたき込んでも、練習という行為を繰り返さない限り、目標には到達できないように、プレイバックシアターも実践することで確実に成長できる。 では、どのような成長がもたらされるのか、項目に分けて説明したい。

1)状況対応能力
 
プレイバックシアターは即興劇である。この「即興」が状況対応能力を高める。なぜなら、刻々と変化する状況に適応し、的確に対応していかなければならないからである。予期していなかった方向に即興劇が進む場合もあるだろう。それは自分にとって大問題となってくる。しかし、解決しなければならない。即興劇は次へ次へと進み、同じ場所でとどまることがないからだ。先を読み、どうしたらいいかを瞬時に判断する。そしてアクションへ。「問題解決能力」が自然と鍛えられるのもここに理由がある。とはいえ、たとえば対応に失敗したと思うケースも出てくるだろう。判断ミスをしたなと思う場合も多々あるだろう。しかし、プレイバックシアターに失敗はない。失敗はないが、教訓がある。こうすれば、もっと良くなっていたかも知れないという前進がある。また、何度でも修正をしていけるという特徴も持っている。つまづいたり、行き違いがあったとしても、アクションをとることで、お互いの演技をケアできるのである。ノーのない肯定の世界だからこそ、何者にも勝る教訓という形をとりながら、状況対応能力を素直に身につけられる。

2)対人関係能力
 
即興劇はアクター同士の共同作業である。アクター、コンダクター、ミュージシャンとどの部分が欠けても、どの部分だけでも、成立しない。しかも、事前打ち合わせなど一切ないから、本番の中で演技を通じて、コンセンサスをとっていかなければならない。たとえば、チームの中の誰かが明らかに皆と違う方向へ進んでいる場合は、他のアクターたちはカバーするだけの器量や裁量が必要となるし、それに気づいたアクターは、うまく修正できるよう演技の修正を行う柔軟性が要求される。知らず知らずのうちに、他と調和する能力、協調性が養われていく。しかも、瞬時に判断し行動に移せる協調性は、ビジネスの場面、とりわけ営業場面や組織が同じベクトルのもとに進もうといった場面では大いに役立つ。また、プレイバックシアターでは、1コマ1コマにおいて、リーダーになる人が変わっていく。ストーリィーを進める上で、しかけをする人が刻々と変化する。ここで、リーダーシップとメンバーシップのバランスを学習できる。必要なときにはいつでも誰でも、リーダーとなり、集団をひっぱっていく能力を訓練できるのである。 さらに、共感能力も高まる。それは、テラーの話を聴いているアクターが、テラーの気持ちそのものを自分の場合に置き換える作業をすることに理由がある。また、プレイバックシアターを観ている観客の側にもそれが当てはまる。ストーリィーそのものは他人のものである。しかし、身近な話であったり、仲間の話であったりする以上、常に自分に置き換え共感していく運命を辿る。それは、対立している相手であっても、実はこういう裏話や気持ちがあったのかという事実に気づき、納得し、ゆずる気持ちへとつながっていく。ドラマという楽しい劇を見ながら、相手の気持ちを身をもって考えることができるようになる訓練が行われているのである。

3)プレゼンテーション能力
 
アクターたちは、常にテラーが語った話を「どう見せていくか」「どう聴かせていくか」という思考を巡らせる。それは、内容はもちろん、立ち姿や声のトーンなど微細な部分までに至る。ボー立ち状態やボー読み状態では観客に訴える力を持ち得ないから、そこに創意工夫が求められる。より高度な「表現力」が要求される。さらに、テラーの話をどう構成するか、どんな効果的な打ち出し方をすればいいか、演出について考える。時間が限られている。その中で最高を追求する。ここで、身に付く能力が「演出能力」である。 さて、ここまでは一人でなんとでもできた。しかし、演じるのは一人ではない。他のアクターたちと今まで考えてきたことを演技を通してすり合わせていかなければならない。ところが、まったく知らない同士だと、なかなかうまくいかない。なぜなら、打ち合わせなしでひとつの劇を作品として作り上げていかなければならないからだ。アクターたちの性格を始め、生き様にいたるまで自分なりの理解が必要となる。たとえば、あるシーンで自分がリーダーとなり、ストーリィーにしかけをかけたと仮定しよう。すると、かけられた人はどう反応するか、どんな演技を返してくるか、ストーリィーを創っていく上である程度予測が必要になる。これは、深くその人を知ることで、解決していく。というより、ひとつひとつの反応を通して、その人のことをより深く知るようになる。思いもよらぬ反応があった場合は絶好のチャンスだ。こんな考えをもっていたのか、こんな経験をしてきたのか、という新しい発見につながる。相手の心の深い部分に飛び込める。それは、共感であったり、尊敬であったり、時には同情であったり、本当の意味での出会いが実現するのだ。昔は酒の席で築いてきた仲間意識を、酒なしで、白昼堂々と、確実なコミュニケーションとして築くことができるのである。しかも楽しみながら。 ここで育つのが、「コミュニケーション能力」である。より深い人間関係を築き上げ、夫婦や恋人でも難しい以心伝心の、たとえ片鱗でも仲間同士で獲得できるのである。

4)セルフコントロール
 
プレイバックシアターを体験すると、多くの場合、気持ちがすっきりする。さっぱりと爽快な気分になる。それはストレスが解消した時に感じるあの感覚であり、リラクゼーションとエネルギー向上の両者を持ち合わせたとても快適で心地よい気分である。では、なぜそうなるのだろうか。 まず、自分がこのチームの中で役に立っているというリアルな実感が持てることにある。先にも述べた通り、プレイバックシアターは一人が欠けても成立しない。自分の役割は、この自分にしかできないという事実を目で見て、肌で感じ、心に刻む確かな実感として認識されていく。しかも、すべてが受容される世界である。ストレートに自分の自信につながっていく。こうして、自立を促し、自己責任をとれる人になるための基本条件が育っていく。 また、体を動かし、五感をフル回転させ、創造していく行為は、心も体も浄化してくれる。葛藤を処理し、カウンセリング効果を生み出してくれる。次へのエネルギーが自然と蓄積されていくのである。

5)創造能力

プレイバックシアターで演じるための素材は、テラーの話のみである。これ以外のものはない。情報としては、実にわずかである。そしてどんな役でも引き受けなければならないのだ。 テラー(語り手)は、自分のストーリーの中の登場人物のアクターを選ぶときには、直感によって決めるのである。自分の頭の中に浮かんだその時の自分やそれぞれの人たちのイメージを基にして、このアクターこそピッタリだ感じるのだ。必ずしも外見や性別によって、選ばれるわけではなく、女性役に男性のアクターが選ばれたり、またその逆もありえるのだ。 しかも、コンダクターの導入後、ただちにアクターたちはアクションを起こさなければならない。構成、シナリオ、せりふ等すべてを瞬時に創っていかなければならない。
失恋して打ちひしがれている22歳の女性。
学生から卒業単位を哀願されている大学教授。
生まれたばかりの赤ん坊。
表彰を受けて満面笑みの小学生。
弟の身を気遣っている兄。
いや、人間の役ばかりではない。
よくほえる気の小さな犬。
とんぼ、かまきり、へび、怪我をした猫。
愛車、ゴロゴロとしている大きな岩、洗濯物。などなど、ときには者や動物の役もこなさなければならないのだ。

ここで生まれてくるのが、「直感力」であり、「創造力」である。
テラーの話を聞いて、何を演じるのが一番訴求効果が高いのかを直感的に感じとる能力が要求されるのである。そのためには、分析・判断・洞察能力といった左脳のはたらきとその能力をベースに、さらなる創造力を駆使する右脳とバランスをうまくとっていく必要がある。もうひとつつけ加えるなら、より効果的に演ずるためには、芸術性や感性といった、理論を超えた能力も要求される。たった一回きりの経験ではムリだが、何度も繰り返し体験することで、新しい能力を現実のものしてくれるニューロンの形成が可能になる。
「わかっているのに実行に移せなかった」というレベルをここでひとつ超えることができる。そして、超えてしまえばあとは「もっと」を目ざしていけばいいのである。より高度で複雑な創造力に磨きをかけていけばいいのである。それは、何の苦労をすることもなく、プレイバックシアターそのものがやってくれるであろう。

プレイバックシアターの導入について

プレイバックシアターの導入について さあ、いよいよ実行の時がきた。
世の中は変わる。政治の世界も経済の世界も「革命」のごとく変わっていく。今までよりもさらに速く、複雑に。したがって、ビジネスの場では、激変していく状況を経営環境としてとらえていかなければならない。企業も職場も人も、急速な変化に適応していかなければならない。言い換えるなら、変化していく社会の中での生存条件、サバイバル条件を備え、実行していかなければならないのである。
これまで、プレイバックシアターの特徴をいろいろ述べてきたが、まさにこの変化にどう対応していけばいのかを深く認識することはもちろん、頭ではわかってはいても、実際に行動へ移せなかった人に実に有効である手法であることが理解できる。
それは、具体的な行動やビジョンを目に見えるように、耳に聞こえるように示してくれるからである。「腑に落ちる」わけである。限られた知識や知覚では見えなかった現実を、その次のステップ、実行というレベルにおいて実現してくれる。つまり習慣として本当の意味で身につけることができるのである。これからの社会にこそ一番重要な手法であると言えるだろう。
こうしてみると、プレイバックシアターは、目には見えない心の奥底にあるものを浮きあがらせ、さまざまな人間のさまざまな心情を共感できるパワーを持っていると言える。しかも、防衛的な態度や攻撃的な気持ちは取り払われ、組織の中の葛藤を自然に浄化するパワーも。もちろん、強制や脅迫、否定のないリラックスした雰囲気の中で。だからこそ、企業において、システムのアラインメント(ベクトルあわせ)を図ることにより、生産性の高いチームを形成し、客観的な業績や生産性の基準と競合させることができるのである。「競争的な環境」を「協力し合える環境」へと変えていけるのである。頭でわかっていることを、自分自身の身に置きかえ、心の底から納得することで、次の行動へと出ていけるのである。
「一寸先は闇」の経済環境にあって、今、必要なのは頭で解ることよりも、まず動き出すことである。モタモタと何々法だとかの問題解決法をやっている間に事態は変わってしまうのだ。だからこそ、プレイバックシアターを始めるべきなのである。
(はやしのりみつ むなかたかよ)